『Endless SHOCK』の話

映画『Endless SHOCK』を観た。

 

できれば映画の公開中に書き終えたかったけれど、私の悪い癖でなかなか筆が進まず、かなり長い途中放棄を経て今に至ってしまった。
この間に光一くんのソロアルバムとツアーの発表、ナイツテイル再演など、いろんなお知らせが舞い込んできたことが良いきっかけになった。とりあえずこの拙文が日の目を見ることができてよかったと思う。

もちろんまだ例のあれが終息したとはいえないこの状況下なので、手放しで喜べない部分もある。とはいえ、シンプルに現場のお知らせが来るのめちゃめちゃ嬉しいな…としみじみしてしまった。
困難に直面した『Endless SHOCK』に対して、自分がなにを考えていたのかをきちんとどこかに残しておきたい!という気持ちになれたので、あらためて筆を取った。

 

 

1. はじめに

 

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敬虔なオタクの図(自分で言う)

この映画は昨年の20thが中止になったあとに無観客の帝国劇場で撮影された例年通りのSHOCK。※ただし最初から映画にするつもりで撮ったものではない
その映画公開と時を同じくして、帝国劇場では本編の3年後を描いた『Endless SHOCK -Eternal-』というスピンオフ作品が上演されていた。
(ここまで読んでくださっている方々はすでにご存知のことばかりだとは思うが、一応。)

 

そもそも。
2020年のEndless SHOCKは私にとって本当に特別だった。

何が特別かといえば、
KAT-TUN上田竜也がライバル役に抜擢された

とにかくこれに尽きる。

 

KinKi KidsKAT-TUNが好きで、その中でも堂本光一上田竜也を担当としている私にとってこんなに幸せなことはない。まぁ、そのわりには上田くんがライバル役やってくれたらいいな~などと考えたさえもなかったので、知った瞬間は驚きのほうが強かったというのが正直なところではある。
成人女性としていかがなものかと思うが、職場で奇声を上げながら崩れ落ちるという限界オタクを晒してしまったことは未だ記憶に新しい。

まさかのFC枠全滅(事務局は私の好きなタレントをよく見てから当落を決めろ)を経て、なぜかすんなり取れた一般分と、ありがたいことにお譲りいただいた分でどうにか観劇が叶った。


"タツヤ"は、自分が想像したよりもずっと大きな存在になった。
大好きな2人の共演を目の当たりにできたという喜びもあるし、作品を新たな角度から楽しめるようになったのはまちがいなくタツヤのおかげだ。もし人生最高の瞬間はと聞かれたら、迷いなくこの日を選ぶぐらいには幸せだと思った。


ただ、私がこの20周年公演に対して感じている特別感の中には、負の要素も少なからずあると思っている。

www.tohostage.com
というのも、私がこの20thのために帝国劇場に赴いたのは2020年2月25日と26日。
この数週間前から世の中はだいぶ不穏な空気になっていたし、家族や職場にも
黙って東京へ向かったことは忘れられない。一緒に行った友人たちとも、来ておいて言うのもなんだけど中止しなくていいのか?みたいな話をした覚えがある。
結局、そもそも休演日だった27日を挟んで28日には一部期間の中止が決まった。そこから私の記憶が正しければ2度の中止延期、やっと再開の知らせが届いたと思ったら急遽当日に中止が決定、そして翌日には3月31日までの全公演中止が発表、という流れだったと思う。
結果的には、私が観た2月26日が千秋楽となってしまった。

もっと早い段階で観に行っていたとしたら、逆に観られず中止になっていたとしたら、この事態の受け取り方はまるで違ったはずだ。それが良いか悪いかは別にして、きっと私はこのタイミングだったからこそいろんなことを考えるきっかけをもらった。

それから約1年半。
昨日まで正しかったことが今日は間違いになっているような世の中で、エンターテイメントが置かれる状況も日に日に変わっていく。今この瞬間ですら、何が正しいのか誰にも分からない。
それでも光一くん達はいまできることが必ずあると信じて模索し続けてくれた。
特に今回のEternalにおいては、"リベンジマッチ"を掲げた上田竜也による「帝劇の借りは帝劇で返す」という物騒な宣言通り、誰も欠けることなく無事に千秋楽を迎えられたことが何よりも嬉しかった。

 

2. 本編、映画、そしてEternal

長いのでぜひ流し読みしてほしい。
ベースは映画(本編)について、ときどきEternalや自分が入った公演の話も。

【第一幕】

  • Overture~Scene1:SHOCK OPENING

開演前、まだ少しざわざわしている客席にかすかに聴こえてくるオケが大好きなので、映画でもここから始まってくれて嬉しかった。

そもそも"舞台原作の作品の映画化"ではないので、背景はあくまで劇場のセットのみ。でも本来なら絶対見られないアングルやちょっとした映像加工もあり、普段観る"円盤に収録されている舞台の映像”とは別物。先述のOvertureがあるおかげで生の舞台っぽさや劇場にいるような感覚にもなれるのに、ちゃんと「映画」に昇華されているのが本当にすごい。

うちの地元の映画館、実は帝国劇場だった?(違う)

そもそもあの映像を、最初から映画やるつもりで撮ってたわけではないというのがいまだに信じられない。


SHOCKロゴに順番に電飾が点いて、菱形に幕が開いた向こうにコウイチのシルエットが見えるあの瞬間は、「Endless SHOCKが始まる!」というワクワク感と同時に"SHOCKの世界でコウイチ達のショーを観に来た観客"の気分にもなれる。たまらなく好きだ。

 

 

  • Scene2:Off Broadwayのショー

もともと好きだったSo Feel It Comingだけど、映画を観て間違いなくいちばん好きな曲になった。
あやうく落ちそうになるシーンが予告でもキャッチーに使われていたので、まずドローンとかいう人類の叡智(?)に感謝。そして一番興奮したのが音の演出!劇場を舞うコウイチに合わせて、映画館の四方八方から歌声が聞こえてくる。コウイチが"ここ"で舞っている......私と同じ場所にいる......!!
しかたがないことだが『Eternal』ではこの曲がないので悲しい。


そして本当にお恥ずかしながら、最近になってようやくこの曲の歌詞をしっかり確認して気づいたこと。

“Finding the right way is sometimes wrong way”
“And if you don't succeed just try and try again”

“And there's no time to even stop or trip or fall”

あ、これって全部この先カンパニーが目の当たりにすることを暗示してるんだ…

何を今更、お前さては新規か?というツッコミをいただくかもしれない。2017年からの新規です(聞いてない)。
こんな内容をすげえハッピーな感じで空飛びながら歌ってた事実に胃が痛くなる。嘘だろ、ここからすでにしんどいが始まっていたなんて……

 

  • Scene3:劇場のバックステージ

『Eternal』では演出上どうしても距離ができているYes, My Dreamも、みんながぎゅっと集まって楽しく歌うところを観られたのが嬉しかった。
でも同時に脳裏を過るのは

「もう本編はやれないかもしれないという覚悟でいる」

という光一くんの言葉。
演者側はもうそんな気持ちで進んでいってるのに、観る側(私だけかもしれないが)の気持ちの整理は全然ついてないというのはどうにもつらい。

堂本光一を追いかける者としてあまり考えたくはないけれど、いずれこの作品が終わるときは来る。こんな世の中になっていようがいまいが、そのときは必ず来ると頭では分かってる。それでも、こんなことで突然さよならになることだけは絶対に納得がいかない。俺たちは絶対にまた劇場で本編を観るんだよ......絶対に......

 

 

  • Scene4:劇場の屋上

コウイチはショーそのものが恋人で、「お前がどれだけコウイチのことを好きでも、コウイチは振り向いてもくれないじゃないか!」とライバルが言い放つ瞬間まで、リカに好意を抱かれてることにすら気づいてなかった超絶鈍感野郎。

少なくとも私はそんなふうに思っていた。『Eternal』という公式による二次創作(?)を見るまでは……

コウイチ、リカのこと好きなんじゃん……

マジかよ、お前いまどう見ても想いを寄せている人にしか見せない表情したよな?
私はずっと勝手にリカの一方通行だと思ってたが?コウイチもリカのこと好きなら話全然変わってくるだろうが???なんとか言えコウイチ

これを見てしまってからというもの、このシーンがいままでの100万倍しんどい。ONE DAYという名の大岩が私の両肩に圧し掛かって身動きがとれない(?)。
特に『Eternal』2021年公演でリカの髪型が変わっていることに気づいたときはもう、頭を抱えた。
いつもの高い位置での一つ結びではなく、下ろした大人っぽい髪型。もちろん3年後だということは頭では理解しているけど、観客としてはそれだけ時が流れたんだよと言葉で言われるよりずっとずっと残酷だ。

コウイチを照らす青白い照明。
3年前はふたり向かい合って歌っていたのに、今はコウイチだけがリカのほうを見ていること。
コシオカとテラが、ここはコウイチの場所だからと言うように空間をひとつあけてくれること。
オーナーが「ごめんね、コウイチ」と呟くとき、なにも言わずただ首を振って、やさしく笑ってその場を去っていくこと。
コウイチは今もこうしてみんなと同じ”場所"にいるのに、みんなと同じ"世界"にはいないんだということを、じわじわ突きつけられる。真綿で首を絞められているみたいで息ができなくなる。

なんでこんなことになってしまったんだ......

 

  • Scene5:ニューヨークの街

ブロードウェイからの誘いに興奮するカンパニーを他所に「大劇場でやるのがいいとは限らないんじゃないか」と微妙な反応をするコウイチ。
単純に、上には上がいる世界で自分たちのショーが今と同じように評価されるとは限らないという思いから来ているものだと思っていた。

このシーンについて光一くんは

「もし失敗したら、カンパニー全員舞台人としてのキャリアが終わる恐れがあることを知っているから」

と言っていた(映画パンフレット参照)。


コウイチがしきりに言う「オンの先に何が見えるのか」。
もちろん広義では先述のオンで通用するのかしないのかという話になるだろうが、コウイチの真意はそのもっと先にあるひとりひとりの人生のことだったのかもしれない。

これは『Eternal』の「コウイチは俺たちの未来もちゃんと考えてくれていたんだ」というタツヤの台詞で確信に変わった。

オフでの千秋楽を迎えた段階では、自分たちが大劇場に誘われるなんて誰も想像すらしていない。でもこのときすでにコウイチは全員の今後の人生を考えたうえで、スキルアップを目的としてあえて今までのイメージとは真逆のシェイクスピア芝居をやろうと言ったのだ。

 

本編だとあの場でコウイチの提案に反対したのはタツヤだけのように見えるけれど、『Eternal』で
「お芝居だったら私たちの出番ないんじゃない?」
「俺、バイト再開させなきゃ…」
という演者たちの胸中を語る台詞があるおかげで、それを不安に感じていたメンバーは他にもいたということがちゃんと分かる。


そう思うと、タツヤの
「俺たちが目指してるのは華やかなショーだろ?せっかくファンになってくれた客が離れていったらどうするんだよ」
という意見も、ただコウイチに反抗したいだけで出たものではなかったのかもしれない。むしろいま成功しているのなら、そう考えて当然だと思う。


このあとも何度か触れるが、映画パンフにサラッと書かれていることがまぁとんでもない。万が一まだちゃんと読めてないという方がいたら、こんなもん読んでないで今すぐパンフレットを手に取ってください。薄さに騙されるな、中身は鈍器だ。


  • Scene6:インペリアル・ガーデンシアター

タツヤ、街ではパーカッションなんていらねー!今のままで十分!とか言ってなかったっけ?
そのわりにはPut your hands upめちゃくちゃ楽しそうだな。いいぞ。

というか

帝劇0番でヤンキー座りしたり寝っ転がったりしてんの、後にも先にも上田竜也しかいないのでは?

 

タツヤはバックステージで「見せ場を潰された」と言うけれど、本来タツヤがいるはずのあのシーンには悲しいほど違和感がない。
タツヤという主役級の人物が欠けようがステージを滞らせることもなく、そして観客にそれを悟らせることもなく、完璧にカバーした。そのカンパニーの皆を、タツヤは頼もしいと思えなかった。むしろ『自分がいなくてもステージは見劣りしないものになる』という事実を見せつけられたと感じたのかもしれない。

個人的にはこれが、辛くもHigherでコウイチが戻ってきたときと重なるシーンでもある。タツヤの中ではこのときのSOLITARYがフラッシュバックしていたんじゃないかと思う。

無理だろうけど、光一くんがインライで言っていた本来のSOLITARYいつか見せてほしい。

 

 

  • Scene7:バックステージ

Missing Heart後の「Show must go on、かよ」は衝撃的だった。
生で観た最後の本編で、このときのタツヤの表情は今でも鮮明に思い出せるほどだ。嘲って、すべてを諦めたタツヤが刀を投げ捨てて出ていく背中とその孤独感たるや。
SHOCKを除いても人並み以上ぐらいには舞台に触れてきたつもりだが、表情だけでこんなにぜんぶが伝わってくるのかと圧倒された経験はそうそうない。

「こんな状態でいいショーなんてできるわけないからな!」
というコウイチの言葉は、学校の部活レベルで音楽や演劇を嗜んでいた自分でも身につまされるものがある。集団でものを作ったことのある人は少なからず同じ経験があるだろうが、いくら切り離そうとしても内部の人間関係のゴタゴタは確実に目の前のものづくりや表現に影響する。だからこそこのシーンはいつ見てもヒヤヒヤするし無情に鳴り響くブザーが恐ろしい。

 

ただ私自身も、20thに触れるまでのこの物語の観方は完全にコウイチ視点だった。
...というより、そもそも"私は「Endless SHOCK」をコウイチ視点で観ている"ということにすら気づけていなかったのだと思う。もはや今となってはこっちのほうが恐怖を感じる(何度も言うが、そのことに気づけたのは間違いなくタツヤのおかげなので本当に感謝しかない)。

 

本編でみんながモメるシーンが『Eternal』ではみんなの独白に変わっていて、コウイチだけは当時の台詞のままだがその言い方がわかりやすく感情的になっている。これは当時みんなには"そういう風に見えて(聞こえて)いた"ということ。

「コウイチが自分の心情を語ることで『コウイチが全て正しい』という印象を与えたくなかった」

と光一くん(映画パンフレット参照)。
確かに、もし『Eternal』においてコウイチの自分語りが多かったら、私は結局コウイチ視点の見方に逆戻りしてしまっていただろうと思う。

私がいままでどれだけ何も考えずに観ていたかが浮き彫りになっただけかもしれないが、本当にこの1年弱で『Endless SHOCK』という作品の解像度が爆上がりしていて、もはや初見のときより今が楽しい。ずっと72dpiだったのに急に600dpiになったので見えすぎて逆に怖い(?)。


ところでタツヤがキレてひっくり返したソファを「立ち止まれって言うんですか!!!」と叫びながら元に戻すコウイチを笑っていいのか、誰か教えてくれ

 

 

  • Scene8:Japanesque Show

光一くんは「SHOCKはライバル役目線の物語」、「ライバルはライバルで正しいことを言ってるんだよ」と最近よく言っている気がする。
私自身もようやく、コウイチも結構自分勝手だし周りを顧みずにひとりで突き進んでいっちゃう人なんだな~と気付き始めてきた。なのでライバル("タツヤ"ではなく)が思わずコウイチお前~ッ!もう我慢の限界だ!めちゃくちゃにしてやる!!!と思ってしまうところまではわりと理解できるな、とさえ思う。

 

とはいえ、

マジで実行に移すのは違くない?

私情を優先して観客が入っているショーをストップさせたら俺の勝ち #とは
いや、暴論すぎる。そりゃこいつコウイチに「お前はもうステージに立つな!」って言われるわ。

たとえどんな理由があろうと、ステージ上に私情を持ち込む奴は舞台に立つ者として、エンターテイナーとしてアウトだ。
だから私は絶対にライバルのことを許せない。

特にタツヤは歴代ライバルの中でも圧倒的に愚か度が高かったように思うので、余計に憎たらしく感じたというのもあるかもしれない。彼、本当に狂った演技が上手い。
ラニシが本物の刀を差し出してしまったとき心底楽しそうにケラッケラ笑っているのだが、

テメェ、何笑ってんだ……何がおかしい………

と映画館の大スクリーンを睨みつけてしまった(不審者)。

我ながら散々な言いようだとは思うが、私はちゃんとタツヤのことが大好きなので「さっさと死ねカス!」とモブを罵るのも、「テメェもだオラァ!」とコウイチをガチで蹴り飛ばしにいくのも楽しんで観ている。良きエンタメである(?)。

余談:映画3回目にして「事前情報がない初見の人は、テラニシが持ってきたのが真剣だったということを理解できるのか?」と疑問に思った。
4回目でSHOCK初見の友人を誘う機会があったので終演後に聞いてみたところ、やっぱりよく分からなかったらしい。先にあらすじだけでも読んでおいてもらうべきだった、という反省。

 

そしてジャパネスクといえば

 

こんな超絶呑気ツイートをかましたその1ヶ月後、SHOCK公式インスタに落とされた爆弾がこちら。

 

www.instagram.com

あの武将はおそらく命を落とすが
愛する者の命を守る事ができたなら
それはハッピーエンド

 

……………

 

あのさあ……コウイチくん...……

それ、世間ではメリーバッドエンドって言うんだよ……

これをハッピーエンドだと思っているコウイチ、最高に解釈違いで無理(好きだよ!)

 


【第二幕】

本編では休憩を挟むところだが、『Eternal』は階段落ち(映像)→そのまま曲に入る。最後のオケ演奏と心電図の音が重なり、そのまま耳を劈くような音に変わったかと思うと雷鳴が轟きデドアラへ…という流れがめちゃくちゃにイイ。おそらく梅芸配信のときはこの演出ではなかった。おそらく。
曲の終盤コウイチがすごく苦しそうに肩で息をして、そのうちまた心電図の音が聞こえ始めて、コウイチが"死んだ"ということがめちゃくちゃ……わかりやすく………もうこの話はやめよう

梅芸配信のときはデドアラの最後の十字架やSOLITARYで最後に渡される銃なんかの小道具がなかった。これも感染対策の観点からなのだが、2021年公演ではそのへんは戻ってきていた。少しずつだが前に進めているのかな~と小さな喜びを感じられた部分でもある。

問題のシェイクスピアのシーン。
舞台でもコウイチの顔色は真っ白に見えるが、映画では加工もあるのか血の気がなく映っていた。し、死んでる......
リチャード三世の「五体の美しい均整を奪われ...」を聞くたびに

そりゃそうなんだが、あんたがその顔で言ってもまったく説得力がない

とスペキャ顔で見つめているのはおそらくこの世に私だけではないと思いたい。顔が良すぎるんだよ。

そしておそらく全オタクが悲鳴を上げたであろう「続けろよ」のあとの去り際ドアップご尊顔。国宝認定。映画館で5回観たが5回もれなくキモい声を出してしまったので、各回私のお隣で観ていた方にはこの場を借りて謝罪したい(?)。


このときの「続けろよ」の一言がいつから追加されたのかわからないが、SOLITARYの「俺がタツヤの代わりをやる!お前らはいつも通りやれ」と同じで、一言入っただけでそのシーンが驚くほどわかりやすくなる。光一くんが毎度のように「今年の新しい演出とか聞かれても取材陣の方が期待するような解答できない」(ニュアンス)と言うのは、きっとこういう部分のことなんだろう。

そしてリカ(アン)の「凶悪な己の所業が見たいならご覧!」も「ねえタツヤ…あなたがやったんでしょう?」に変わっている。そもそも私はあまりに演技くさい前者のそれが好きではなかったのでこっちの台詞のほうがいいわ~程度に考えていたのだが、よくよく考えてみると

これって全部タツヤが見てる"芝居やってる夢"なんだよな......

芝居中に突然自分の名前呼ばれるほうがよっぽど怖くないか???

死んだはずのコウイチが蘇るより怖いまである。

それとライバルが「違う!あれは事故なんだ!」と言うの、毎回思うが事故ではなくない?
そりゃコウイチがあれで舞台を続行しようとするとは誰も思わない。とはいえ、お前が意思を持って真剣にすり替えてる時点で"故意"ですよね?

シンプルにお前のせいですよね?


まぁこれは先述したタツヤのライバルとしての愚か度(?)が高い故かもしれない。歴代の中でも最も「お前がやったんだろーッ!」になった。

この行動に対して上田くんは、"タツヤの行動は卑劣極まりない"と前置きしたうえで「彼のもがき苦しむ心情に共感してくれる人はいるかもしれない」「誰に感情移入するのかで感触が異なると思う」と。
そして光一くんも「コウイチは理解されにくい。とはいえタツヤのあの行動は愚行」と言い切っている。
コウイチが周囲を置いてけぼりに暴走していたのが事実だとしても、ライバルの行いは絶対に間違いだし同情の余地はないと思っていたので、この点に関しての2人の見解を聞けて良かった。

 

ちなみに私がいま一番欲しいものは、「やめて…」と泣くタツヤの目の前にコウイチが日本刀を突き刺すシーンのステフォです。出せ。

 

  • Scene2:オーナーの劇場のバックステージ

映画で初めて気づいたこと:病室のコウイチ、想像以上にマネキン。

”涙はいらない 悲しまなくていい
自分を責めるな 誰のせいでもない
悩まなくていい すべて忘れて
すぐには変わらない 戻れるさ夢の続きへ”

 

Don’t Look Backのコウイチパート、いつのまにか日本語になっていたけどこれは20thからなのだろうか?

イヤ、というか、えっと......あの………
無茶言うなよ

 

しかもそのあとのリカパートは

”もう二度と戻れないあの頃には
すり抜け落ちてく あなたとの思い出が”

真逆じゃねーかよ。どないせえちゅうんや(理不尽キレ芸)

New York Dreamでオーナーに背中を押されてコウイチと一緒に踊るリカ。もう耐えられないと逃げ出すように出ていく本編とは対照的に、『Eternal』でのこのシーンはリカも心底楽しそうなのだ。だってそこにはタツヤもマツもタイガもミナトもショウもいるから。

でもそれは、『こんな風にまた皆でショーをやりたかった』というリカの夢でしかない。

悲しいシーンだと分かってはいても、こんなふうにみんなでワイワイやられたら本当にダメだった。こんなにも幸せに満ちているこの瞬間は、いつか覚める夢なんだ...

 

少し話が横道に逸れるが、20thを初めて観たときに上田竜也に対して感じたことがある。それは
"上田竜也"のパブリックイメージをしっかり役に落とし込みながら、決して上田竜也そのものではない"タツヤ"を確立させている
ということ。
こんなのプロなら当たり前のことかもしれない。ただ彼は普段のキャラがすごく立っているぶん余計に「これただの上田くんじゃん」に、おそらく陥りやすい。"上田竜也"と"タツヤ"が近ければ近いほど観ている側に別物だと認識させることはより大変になるはずなのに、それを難なくやってのける彼の芝居の技術を改めて感じられた気がしたのだ。

ヤラは様々な面でコウイチと遜色なくほぼ対等なはずなのに、どうしても彼を超えることができず苦しんでいる。
ウチは実力はあるがお調子者でNo.2感は拭い切れず、たぶんコウイチに追いつくことはできないのだろうなという感じ。
ユウマはわりと鬱屈としていて、どうせ俺はどうあがいてもコウイチにはかなわないよと言わんばかりの雰囲気が見え隠れしてるような印象を受けた。

一方でタツヤはコウイチに追いつけ追い越せ。ずっと一緒に頑張ってきたけれど基本の性格がとにかく強気で、「俺が!俺のほうが!俺を見ろ!!!」というのが1幕を通して如実に表れている。だからこそ2幕以降の反動、小さい子供のようにわんわん泣いてしまう姿にこちらも動揺してしまう。
上田竜也という役者に、観る側の何か奥底にあるものを鷲掴みにする魅力があると感じた。

 

  • Scene3A:インペリアル・ガーデンシアター

ぶっちゃけこの2幕Scene3の感想を言いたいがためにこれを書き始めたといっても過言ではない。これまでの私の『Endless SHOCK』の見方をごっそり覆してくれたシーン。

そう、みんな大好きHigherである。

Higherについては特にKAT-TUN担の皆さんからの「コウイチ最悪では?」という酷評をたくさん見かけた。

普段他人の感想やレポはなるべく見ないようにしている私が珍しく自分から漁りに行ったというのもあるけれど、特にライバル役担の感想にはおそらく今までいちども触れたことがなかった。いままでもこういう反応が普通だったのかもしれないし、他担にどう思われるかわからないが本当に正直に言うと、

私は今まであのシーンで「コウイチ酷いな…」と思ったことがなかった

 

本当に一度たりとて無い。

 

当然ながらこれは私が思ったことないというだけであり、決して光一担の総意ではないということは強く言っておきたい。
こんな私でさえ、この20thとEternalを経て映画の時点では無事に

「コウイチお願い、(ライバルの気持ちおよび己の所業の残酷さに)あなたも気づいて!」

と発狂したので安心してほしい。その屈託のない笑顔で人がひとり死ぬんよ!と私の心の中の千鳥ノブが叫んでいる(?)。

まぁ、といっても私はどうあがいてもコウイチ担なわけで。
いきなりステージに現れてみんながびっくりしてるときに見せるいたずらっ子の表情、超絶so cute。やっぱり許しちゃう。タツヤごめんね(最悪)

冗談はさておき。
よく考えなくても、死ぬほど疎ましく思ってた奴がいきなり戻ってきて自分のステージ全部乗っ取ったあげくに

“最高のステージに必要なのはYou&Me”
“自分らしさそれ以上見失わないで 何度でも手を差し伸べる”

などとルンルンで歌いはじめたら
「テメェ何しに戻ってきやがった!!!!!!」
になるのは当たり前だ。そりゃそう。ごもっとも。


しかもさらに発狂ポイントなのは、コウイチがこんな風に歌う気持ちに一切の嘘偽りもなければ悪意もない、純粋な思いであるということ。

ここでもコウイチは一瞬にしてタツヤのステージを自分のものにしてしまった。
あのSOLITARYに関しては場を繋ぐための行動が結果としてそうなったに過ぎないけれど、Higherは違う。

タツヤはこのステージのドセンで"この場所に立つのは自分だけでいい"と歌い踊っていたのに、突然現れたコウイチは一瞬のうちに彼のその場所も仲間も、観客の目線も、すべてを奪ってしまった。コウイチに悪意はないけど(強調)(擁護ではない)

つい冗談ぽく書いてしまうが、タツヤにとって事故が起こったジャパネスクはもちろんSOLITARYも相当なトラウマだっただろう。できることなら忘れたいと、鍵をかけて閉じ込めていたであろう感情を一瞬にして引きずり出したHigher。プライドなんてあったもんじゃない。本当にタツヤはよく生きて毎日ステージに立ってたと思う。並の人間だったらとっくに心が折れている。

 

 

  • Scene3B:バックステージ

あの事故の前、コウイチに「そんなにこのショーに拘るなら俺抜きでやってみろ!俺の立ち位置もお前がやればいいだろ!」と言われたとき、タツヤは反論できなかった。
「あぁやってやるよ、俺が最高のショーを見せてやるよ」と言えない自分が情けなかった。
それから1年。自分がメインをはるショーをいとも簡単にコウイチの世界に塗り替えられてしまったあげくに「お前がそんなんだからショークローズするんだろ」なんて残酷すぎる言葉をかけられても、何ひとつ言い返せなかった。

劇場では席の位置の関係であまりよく見えなかったのだが、映画ではタツヤの怒りも悔しさも恥ずかしさも全部綯交ぜになって、もうとっくに許容できる範囲を超えて決壊してどうしようもなくなった表情がしっかり映っていた。
コウイチテメェーーッ!何しに戻ってきやがったァ゛!!!(CV:私)

 

もうひとつ。
ライバルはリカのこと本気でひとりの女性として好きなのか?
私はかなり微妙なところだと思っている。というのも本編でライバルが「誰にも振り向いてもらえない苦しみ、俺にはわかるんだよ」と泣きながらリカに訴えるセリフは、元々は"誰にも"ではなく"好きな奴に"だったはずなのだ(いつから変更されてるのかはちょっと分からない)。
個人的にタツヤは歴代ライバルの中でも特にリカへの気持ちが希薄なイメージで、「コウイチが手に入れられるものなら俺だって…」とか「全部コウイチに持ってかれるなんて面白くねえ」みたいな、コウイチへの対抗心をリカへの恋愛感情と勘違いしているような、気がしている。

しかも『Eternal』であれ…!?となったのが、「本当はコウイチに振り向いてほしかったんだろ?だからあんなにコウイチのこと意識してたんだろ?」というマツの台詞。
えっ、じゃあ
タツヤの回想「俺はただ振り向かせたかっただけなんだ」は、カンパニーのみんなに対してじゃなくコウイチに向けられてた言葉ってこと…???
本編の「誰にも振り向いてもらえない気持ち、俺にはわかるんだよ」も、コウイチが自分を見てくれなかったことを指してるってことなの……?え、えぇ………

こういう言葉を使うのは少し悔しいのだが、"激重クソデカ感情"とはよく言ったものだと思う。タツヤ、コウイチのこと大好きかよ。

 

そしてこのシーンでいちばんつらいのは。リカがカンパニーのみんなを諭すところ。
何も考えていないと言うと言いすぎかもしれないが、リカはずっとコウイチの背中を追いかけることだけが幸せだと信じて疑っていないし、すべての基準がコウイチにあるような女の子だった。

「何があってもコウイチについていくから、いつだってそうしてきたから。だってそれしか分かんないし」
だった彼女が、真っ先にコウイチの死を受け入れて、「前に進むということがどういうことなのかもう一度よく考えて」とカンパニーのみんなの背中を押す。
コウイチが最期まで気づくことができなかった『つまづき立ち止まっても、新たに踏み出す勇気』を一番最初に体現してくれるのが彼女なんだね......

 

 

  • Scene4:It’s A New World On The Earth~カーテンコール

映画ではラダーフライング中にみんなが後ろで太鼓を叩いているときの表情が抜かれていて、とてもありがたかった。20thはタツヤがいたのでコウイチと交互に観ようと努力はしていたが、正直それまではみんなが後ろで何をしてるのかもあまりよくわかっていなかった。

『Eternal』でマツが言っていた「コウイチ消えないで」というみんなの気持ちが見える。それと同時に、強い光に吸い込まれていくようなコウイチの背中が映る。特に映画だとコウイチは後ろからのアングルで映っていて、照明のほうに向かって飛んでいくから本当にそのまま消えてしまいそうに見えて、切なさに拍車をかける。ダメだ、行かないでくれ……

そういえば光一くんのブログSMGOに

「大桜は最後のショーの直後ではなくて時が経ってからのこと、CONTINUEもそれと同じ時間軸」

とあって、かなり困惑した。

夜の海が終わった後パタリとその場に倒れ込んだコウイチを抱きかかえて桜の木の下に運んで…という今までの一連の流れは、なんの疑いもなく続きのシーンだと思っていた。

タツヤがコウイチの死をきちんと受け入れて前を向けるようになるまで、コウイチは心配で成仏できなかった(あえてしてなかった?)みたいな…そういうことなのだろうか......どうしよう.........そんなん、私が死んでしまう...........


初めてSHOCKを観たとき、コウイチは非凡な才能に溢れる完璧超人なんだと思っていた。でも実際はそうじゃなかった。
ショーにかける思いが突き抜けすぎてて傍から見たら狂気にも感じるが、中身は普通の人だった。だからこそみんなに「周りが見えなくなったらおしまいだ」と言っておきながら、その言葉を最期まで自分に当てはめきれなかったのかもしれない。

 

そしてなによりも最高にシビれたのは

「トップに立てた一握りの存在であるコウイチは、物事は立場によって見え方が異なることを理解できていなかった」

という光一くんの言葉(映画パンフレット参照)。

KinKi Kidsとしてもそうだし、堂本光一としてもそう。20年以上まさにその『一握りの存在』としてど真ん中に立ち続けて、今もなお第一線で走り続けているひとがこれを言えるのが死ぬほどかっこいい。

堂本光一、一生推す。

 

『Eternal』を初めて観に行ったとき、ずっと張りつめていた気がカテコまで来たらだいぶ緩んでいたんだけど、最後の最後でSo Feel It Coming歌われてまたボロボロに泣いてしまった。

 

“Cuz I know you're gonna find it! I know you're gonna make it!
“君が見つけられるって、やり遂げられるってちゃんと分かってるよ” 


コウイチは本当に、本当に最後までみんなのことを思ってくれているんだ。
コウイチがいないのはやっぱり寂しいけど、もう大丈夫だよ。みんなもうちゃんと前を向いて、また走り出してるよ。

 

 

 

3. "Show must go on”の意味

 

少し話は変わって。
この作品の代名詞ともいえる"Show must go on"という言葉。

 

この時代におけるSMGOは、「何が何でも幕を開けなければいけない、開けたら絶対に途中で閉じるようなことがあってはならない」という意味ではない。

つまづいたときに何ができるか。後ろを振り返って、そこから新しいものを生み出していくということ。

 

SHOCKカンパニーが感じていたのと同じように…というと烏滸がましいかもしれないが、去年ちょうどあの日に帝劇にいたからこそ、私の中の時間も止まってしまっていた。
光一くんが折にふれて繰り返していた森さんの言葉は、「平和でなければエンターテイメントは成り立たない」。実際に目の当たりにするまでその本当の意味が理解できないんだな、とつくづく思い知らされた。
平時だろうがなんの不安もなく幕が開いて降りることは当たり前ではないが、始まる前からどこか心の片隅でその心配をずっとし続けなければいけない今の状況は、やはり苦しい。こんな世界は誰だってできれば経験せずにいたかったと思う。

 

だから良かったという言葉は使いたくない。
だが、インスタライブに生配信に映画と、"こんなことになってしまったからこそ享受できたもの"は間違いなくあった。光一くん自身の誠実さに触れる機会も本当にたくさんあった。自分がこんなにも素敵な人を好きになれたんだと改めて分かったことだけはありがたかったのかもしれない。
とはいえ、こんなことをきっかけにそれを思い知らされたということ自体が悔しい。普通に自力で気づきたかったと思う。

 

「俺たちが目指しているのは華やかなショーなのに、せっかくついてくれたファンが離れてしまったらどうするんだ」
というライバルの台詞は、この時代におけるSMGOに繋がるところがある気がしていて。

いまはまだ普段のような派手な演出はできない。時間も道具も人員も、最小限にしないといけない。
制限だらけの中で、観に来たファンに「コロナだししょうがないか」と思わせない、がっかりさせない作品を短期間で仕上げるには?
自分たちが得意とするもの、光一くんの言葉を借りれば"武器"を奪われた状態でいったい何ができるのか?

誰も体験したことのない状況、なにが起こるかも成功するかどうかも分からない。でもずっと足踏みしているわけにはいかない。だからこそ、あえて一度立ち止まって考えてみる。
一見矛盾しているようだけど、それはまた来たるべき時に走り出すため。

だから、今は"華やかなショー"じゃなくてもいい。

 

「『こういう状況だから…』というネガティブな気持ちではなく、いまだから生みだせるものがあるのだというポジティブな気持ちでいます」


主演だけじゃなく作、構成、演出、監督。
20年という途方もない月日をこの作品に費やしてきているのだから、ここはこうあらねばならないという多少の傲慢さがあってもいい気さえするが、彼にそういうものがまったくないらしい。

むしろ彼の中には大きくて強い拘りがあるけれど、場合によってはその拘りすら切り捨てることもできる、その覚悟があるからこそ進化し続けられるのかもしれない。

 

地方に住んでいることもあり、光一くん関連の現場でいえばナイツテイルのシンフォニックコンサート、Eternal大阪公演、2020年に関してはすべて応募すらしないという選択をしてきた。

でも、2021年の帝劇公演はどうしても諦めがつかなかった。

とはいえ終息したとはいえない状況で、劇場まで足を運ぶことに対して本当に最後まで悩んだ。観に行く当日家を出る直前まで、いまから飛行機もチケットも全部キャンセルしようかと考えたほどだった。

 

でもこんな状況が1年以上続くなかで、どこにも行かないということ"だけ"が正義ではないはずだと私は思っている。だから今ひとりひとりに求められる当たり前のことを最大限やり、マナーを遵守した上で劇場に入った。

映画が撮影されたのもクローズ後、最初のEternal配信も無観客。先述の通り長らく現場には行っていなかったので、ずっと無音の空間にはすこし違和感をおぼえつつも慣れてきていると思っていた。
だが実際に有観客に戻って、本来あるべきはずの”反応”というものが帰ってきたとき、本当に感動してしまった。

目一杯拍手ができること、それがそこら中から聞こえることがこんなにも嬉しい。

この拍手や笑い声、お客さんの反応も含めて、自分も作品の一部だった。
やっぱり私は劇場で、あのフライングのリボンがはためく音を聞けることが幸せなんだ。

 

今回のカンパニーはタツヤを筆頭に本当に私のストライクゾーンにバッチリハマっていたのもあって、今まで以上にロスが激しかった。インスタに上がっていた千秋楽カテコのビバさんの御挨拶でボロッボロに泣いてしまった。
リカに至っては私が初めて観た2019年公演からずっと梅ちゃんで、梅リカが本当に好きだったのでこれで終わってしまうのが悲しい、やっぱりどうしても映像化を諦めきれない……このままじゃ20thの亡霊になってしまう…… 
追記 2021/09/24
20thの亡霊にならずに済みました 関係者各位に金一封

www.jehp.jp

もしかしたら、すべてが元には戻らないかもしれない。
でも、近い将来にもう一度劇場で本編を楽しめる世界になることを祈らずにはいられない。

『Endless SHOCK』という作品の火を、エンタメの火を消さないでくれてありがとう。

 

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余談

もうこれ以上好きにはなれないというほど堂本光一のことが好きでしかたないと思っていたが、PLAYFULの会見での発言を聞いて更に更新されてしまった。

「希望に向かって準備をすることはすごく大事。たとえ中止になっても、それは無駄にならない

もちろんこういう時期の開催決定自体に疑問の声が上がるのは当然だし、それは間違っていない。
けれど、提供する側はやる前提で動くしかないということも理解するべきだと思う。
結果的にやれなかったとしても提供する側としてはそこまでにかけた時間にも意味があるし、やろうとすること自体を否定するべきではない。

今の時代らしく、無理せず頑張れという気持ちでこれからも堂本光一という人間を追いかけていきたいと思う。

PLAYFULも、ナイツテイルも!楽しみだ~~~!!!